この二週間は

地震と大津波が起きてから、日本は確実に震災後という新しい時代に入ったと思います。この場合の思いは重いと書いた方が正しいように気が重くなります。この二週間は津波の余りにも大きな被害・遭われた方々の最後の瞬間の恐怖、絶望感を思うと慄然とします。高台に逃れて助かった方々の脳裏から、あの恐ろしい瞬間の生と死を分ける真っ黒な水の色と、天地が割れるような低く大きな音。家々の押しつぶされる音、車がおもちゃのように軽々と浮かび上がり流れていく様。港から押し流されてきた漁船や大型の貨物船。そして何よりも街全体が壊滅して、いまだに被害者の数さえ解らない現実。その数が1万人以上も増える可能性があるという不確定さ。

役場が流されたとしても、そのために住民基本台帳をネット化したのではないのですか?そこから、生存者を点呼していけば、おのずから数字が出るのではないでしょうか?町単位で全員の名前を呼び上げて生存者を点呼すればいいのです。知り合いでも生存されているのを知っている人はリストから消していけば、残った方々が文字通りの行方不明者です。そしてその数は、阪神淡路を大きく超えて数万人のオーダーになるやも知れません。まだ氷点下に下がる避難所で、充分な暖も食べ物も水もガソリンもない状態で二週間も堪え忍んできた被害者の皆さんの事を考えると堪らなくなります。

しかし、それよりも大きな問題は、原子力発電所の地震と津波による破壊と「想定外」と言い訳をする予防保全の考え方の甘さにあります。地震の専門家が対策をと進言しても、コストが掛かるからと無視をしてきた関係者だけの原子力土木委員会津波評価部会のメンバー構成。これにはあきれ果てました。まるで中世の暗黒裁判みたいなお手盛り審議会です。

東電の営利体質が今回の不幸な事故を招いたのは紛れもない事実です。その被害の大きさ、及ぼす影響の大きさと責任に、まだ東電自身もそれを監督する立場の役所も本当に気がついてはいないように感じます。気がついていて責任を感じているのなら、全く違う発言や行動があっても良いはずだからです。責任など感じず、そのポストにいる内に料亭や高級レストランで贅沢しほうだいしている政治家と同じなのでしょうか?

日曜の朝、見事に晴れ渡った美しい空を見ながら、この空気の中にばらまかれている放射能の事、わずか200キロ余りの地獄の事を考えていました。東京の放射能のレベルは、発生した水素の爆発で屋根が吹き飛んだ15日よりレベルが倍になり、21日から3倍、22日からは4~5倍の値に変わってきました。茨城県はそのまた二倍ほどの値を示しています。この状況は、おそらく半年、一年と続いていくでしょう。今のレベルより悪化する確率の方が高いと思われます。避難勧告の出た半径20キロの範囲は、レベル6まで上がってしまった以上、もう戻れないでしょう。一事故が原子力発電の場合どれほどの深刻な影響を及ぼすか、ようやく政府も国民も電力会社も製造メーカーも初めて自分のこととして解ったのです。

このまま落ち着いたとして、真水の注水を3~5年間は続けないと冷えないそうです。速やかに屋根を作らないといつまでも放射能をまき散らしているだけです。ドームで覆い、プールで囲い、新しいクレーンを設備し、燃料棒を外して安全なタンクに入れ直し、中間置き場に10~30年冷やさなければなりません。それができず、簡易的に使用済み燃料棒仮置き場を作ってきたのが今の状況です。それを計画して成し遂げなければなりません。いまのアマチュアばかりの政府に本当にできるのか甚だ疑問です。

外資系の企業は東京から大阪に移ったり、博多に全員が移ったりしています。工場も何も無いコンピューターで家で仕事ができる職種はそれもできるでしょうし、東京で借りているより遙かに経済的だから、しばらくは戻ってこないでしょう。でもあちらもプルサーマルのある玄海原発からわずか50キロですが、、、簡単に逃げ出せる企業や人は良いのですが、ほとんどの場合は会社の存続に関わるような問題になります。まして福島の20キロ圏内のように戻れないとなったらどれほどの困難を政府と電力会社のエゴによって損なわれるのでしょう。アメリカなら住民訴訟がすぐ起こるでしょう。当然日本でも、、。

しかし、長期化が避けられなくなった以上前向きに、積極的に行動を起こさなければなりません。風光明媚で美しい福島の浜通りが今後何年も人も通れなくなり、何十年も住めない土地になってしまったのです。この責任の重さを東電、推進してきたエネルギー省、通産省の役人は自覚したのでしょうか。阪神淡路の大震災の時のように、関西圏の街は賑やかで普段と変わらない風景だそうです。しかし、東京の街の人での少なさは怖いぐらいですね。飲食店や観光地のこれからを考えると、暗澹とした気持ちにならざるを得ません。今日の青空は、心なしか、モーツアルトの悲しみの色をしていました。青よりも蒼い色をしていました。
by maxlabo | 2011-03-27 21:56 | 原発人災事故


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